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六甲アンテナ

見えない線引きに気づける社会へ~制度の視点から考えるインクルーシブな未来~

車いすで生活していると社会の中には、目に見える段差や狭い通路だけでなく、目に見えない線引きに遭遇して、立ち止まることもあります。今回は「制度」の面から、私が感じる目に見えない線引きについて考えてみます。

 

〔制度〕就労では利用できないヘルパーさん

 

久しぶりに会社に出向くことになった式典の日(25周年記念式典ブログはコチラから)、私は排泄障害と褥瘡ケア※1があるので、ヘルパーさんか訪問看護を利用しようと思っていました。

 

普段は在宅勤務なので、外出するときはトイレに行かずに済むように短時間に限るか、長時間になる場合は、支援サービス※2をお願いするか、の二択になります。ところが式典の日に支援サービスを利用しようと依頼をすると、「就労での支援サービスは利用できない」という制度の壁にぶつかり、利用するなら実費になることがわかりました。そして、1日依頼すると、目が飛び出るほどの金額を提示されました。

 

そこから制度について色々調べていると、あるローカルテレビで放送された、障害のある車いすの女性が就職活動で直面する現実を知る機会がありました。数十社を受けてようやく就職できたものの、排泄障害があってもヘルパーさんの支援を就労中には受けられず、利用には実費で1ヵ月に数十万円もの負担を強いられるという話でした。最初はトイレを我慢して勤務をしていましたが、結局、8時間勤務ではそうもいかず、家族が仕事の合間に訪れて、トイレの介助をされることもあるそうです。

 

画面越しに見た彼女の姿は、私自身の式典での体験と重なり、これは個人の話ではなく、社会課題なのだと感じました。

 

重度障害者のヘルパー利用は、「経済活動を行う場合は原則除外される」と厚生労働省が定めています。働くことは「自立」の象徴とされる一方で、支援を受けながら働くという選択肢は制度の外に置かれてしまう…この線引きは、「働くなら支援はいらない」という前提に立っています。

 

けれど現実には、働くためにこそ支援が必要な人がいる。制度の線引きは、働きたいという意思があっても、社会参加の可能性を狭めてしまっているのではないでしょうか。

 

「働きたい」と「支援を受けること」が矛盾なく共に尊重されるには、まずは声をあげることが出発点だと思い、ブログで共有させてもらいました。支援を受けて働く姿も、決して特別ではなく、社会の一部として自然に認められることを願っています。

 

※1 褥瘡ケア・・・床ずれ予防・処置する医療行為。介護職(ヘルパー)は行えず、医師や看護師などの医療職が担う

※2 支援サービス・・・自力での生活や活動が困難な人に自治体や民間などが提供する生活を支える多様なサービス

 

おわりに

 

 

制度の枠組みの中にも、日常の中にも、見えない線引きやバリアは存在します。それは目に留まりにくいですが、気づかぬうちに人を隔て、声を遠ざけてしまいます。だからこそ、さまざまな立場の人が感じている見えない線引きやバリアに気づくことが大事なのかもしれません。

 

気づけば問いが生まれ、時間はかかっても社会を静かに変えていく力になるはずです。一人ひとりの気づきが、見えないバリアを見えないままにしておかず、可視化すること。それこそがインクルーシブ社会の実践になるのではないでしょうか。

 

私個人の視点から制度面での見えない線引きについて綴りました。皆さんはどう感じられたでしょうか。最後までお読みいただきありがとうございました。